未来ある子どもたちの
憧れの存在であり続けたい

楠 康成

KUSU YASUNARI

阿見アスリートクラブSHARKS所属
中距離選手

2000m障害で日本最高記録を持つ
楠 康成選手に、小学生時代のお話や
元陸上選手のご両親の存在、
現在そして未来の夢について
お話を聞きました。

なんで?なんで?が口癖
向上心や好奇心の
かたまりだった

小学生の頃はどんなお子さんでしたか?

活発でしたね。外でサッカーや鬼ごっこをしたり、家でゲームをするのも好きでした。性格はスポーツ選手あるあるで、負けず嫌い。今より上手くなりたい、 やったことがないことに挑戦したい、そんな向上心や好奇心のかたまりのような男の子でしたね。

「なんで?なんで?」が口癖で、わからないことをそのままにできないというか…。例えば「1 + 1=2」と習いますよね。そもそも「なんで1 + 1=2なの?」みたいな。大人からしたら面倒くさい子どもだったろうなと思います。

運動は得意で好きでした。父は元マラソン選手、母は元中距離選手。ひたむきさは父から、スピードは母から譲り受けました。褒めてもらえることが多かったので、自分を感じられるというか、楽しくてのめり込んでいったという感じです。

小学生のときは陸上とサッカーを掛け持ち。ただチームプレイが苦手で、持ち前の「なんで?なんで?」星人が出てしまうんです(笑)。例えば、試合に1対0で負けたら、フォワードである自分に何かしら問題があるのに、「この次頑張ろうね」で終わってしまうことに納得できなくて。なぜそうなったのかを追求せずにはいられない性格でした。

この話を知り合いのサッカー選手やラグビー選手に話すと、「僕もそうだった」と共感してくれる人が多くて。そこはスポーツ選手っぽい性格だったのかなって思います。

速く走れた自分を
父が抱き上げて
喜んでくれた瞬間

転機になった出来事はありましたか?

父が兄に陸上を教えている様子を、母と一緒によく見ていました。ある日父が「康成、お前もちょっと走ってみろ」と言うので走ったら、兄の1年生の時の記録より速いタイムで走れたんです。父は僕を抱き上げて喜んでくれて、そのときのことを今でもよく覚えています。自分は足が速いんだということを初めて理解した瞬間でもありました。

兄だって学年でトップクラスに足が速かったんです。兄は今画家として活躍していますが、彼にとってもこの出来事が大きな転機になったようです。

1番になることが
すべてではない

ご両親はどんな存在でしたか?

僕が5歳のときに、両親が年表を作ってくれたんです。15歳で全中優勝、18歳でインターハイ優勝、オリンピックで金メダル獲得…といった内容だったかと。年表に書いてある項目を1つクリアするごとに、おいしいものが食べられたり、ほしいものを買ってもらえたりして、適度にプレッシャーをかけながら、楽しく取り組める工夫をしてくれていました。

両親が運営する阿見アスリートクラブには、「1番になることがすべてではない」という価値観が根付いていました。誰もが同じゴールを目指す必要はなく、自分だけの目標を立てて、それを達成することに価値があることを教えてもらった気がします。

両親が与えてくれた環境の中に身を置きながらも、自らこの道を選んで、その都度、夢や目標を見つけてモチベーション高く取り組んでこれたので、そこは本当に感謝しているし、リスペクトしています。今は一緒に働いているので、時にはぶつかることもありますが、その関係性はステキだと思っていることを、この場を借りてふたりに伝えたいですね。

自分の子どもにも、誰かを幸せにする子になってほしいですね。1人でも100人でも構わない。 誰かのためになることを考えられる人間になってくれたら、親として幸せです。

直線はゆっくり、
コーナーでダッシュ!

「瞬足」を初めて履いたときの印象を覚えていますか?

小学校5年生くらいのときかな。クラブの仲間たちが次々と「瞬足」を履きだして、僕もその波に乗り遅れまいと何足か買ってもらいまいた。

テレビで仮面ライダーを観ているときに、「瞬足」のCMが流れるんですよ。かけっこやリレーではそのシーンをイメージしながら、直線はあえてゆっくり走って、コーナーに差しかかったところでダッシュ(笑)。自ら見せ場を演出していました。

自分と向き合うことで
「走る」意味を再認識

「瞬足」のように、モノやヒトとの出会いが人生を変えた経験はありますか?

メンタルコーチをつけて、自分と向き合う時間をつくったことです。

2013年の日本陸上競技選手権1500mで2位になり、世界選手権の日本代表選手に内定。よりよい結果を出そうと必死にトレーニングする日々でしたが、自分の実力に限界を感じ、走ることが面白いと感じられなくなってしまった時期がありました。

そんなときにメンタルコーチの力を借りて、そもそもなんで走るのか?走る理由を根源から探り、自分と対峙することに時間を費やしました。そこで気づかされたんです。僕が走るのは、未来ある子どもたちの憧れの存在になるためだということを。それが僕のすべて、やる気の源泉でした。

この出会いや経験がなかったら、おそらくアメリカへ行ってそのまま引退していたかもしれない。それほど僕の人生を大きく変えた出来事でした。

未来を担う
子どもたちのために
今やるべきこと

大切にしていることは何ですか?

子どもたちに憧れられる存在になるために、彼らの期待を裏切らない自分でいることです。輝いて見える場所が、実際に行ってみたら微妙だったと思われるのは嫌なので、選手として活躍するのと同時に、環境づくりにも力を注ぐ使命を果たしたいです。

これから中距離選手を目指す子どもたちのために、日本の陸上界に「中距離選手」という需要をつくりたい。そのために、日本で唯一の陸上競技中距離プロチーム「AMI AC SHARKS」を立ち上げました。

そんな僕たちの想いにアキレスさんが賛同してくださり、「BROOKS」によるスポンサー契約という形で応援していただけることになりました。僕らが「BROOKS」を履いて活躍することで、中距離の価値が見直される。アキレスさんとともに、陸上競技界に新風を巻き起こすことができたらステキだなと思っています。

スポーツを身近に感じられる
場づくり

今の“夢”を教えてください。

将来的には、僕が生まれ育った茨城県阿見町に、陸上トラックやジム、カフェやショップなどを備えた、日常生活の中でスポーツを身近に感じられるような複合施設をつくるのが夢です。

阿見アスリートクラブのテーマである「子どもから大人まで元気にかけっこ」のように、年齢やレベル、目的が異なる人たちが一堂に会して、目標達成できたメンバーをみんなで褒め合えるような文化を醸成できたら、僕自身も楽しいし、子どもを育てる上でも素晴らしいと思う。

そのためにも、まずは自分の競技をまっとうすることが大切だと思っていて、この夏のパリと翌年の東京世界陸上をこれまでの競技人生の集大成として、悔いのないように全力を尽くします。

PROFILE

楠 康成(クス ヤスナリ)

生年月日
1993/8/21
出身
茨城県阿見町
所属
阿見アスリートクラブSHARKS
自己ベスト
3000mSC-8分25秒70
2000mSC-5分29秒11 日本最高記録樹立(2022年)
主な実績
2020年-日本陸上競技選手権 男子1500m 第3位
    -日本陸上競技選手権 男子3000mSC 第2位
2021年-全日本実業団 男子3000mSC 第2位
2022年-2000mSC 日本最高記録樹立
    -国民体育大会 成年男子3000mSC 第1位
2023年-国民体育大会 成年男子3000mSC 第1位
2024年-パリ出場を目指す

日本唯一の中距離プロアスリートチーム「阿見アスリートクラブ SHARKS」のキャプテンであり、株式会社SHARKSの代表。両親が運営する陸上競技クラブ「阿見アスリートクラブ」で育ち、高校卒業後は小森コーポレーションを経て、阿見ACトップ選手に躍進。2017年に拠点を米国に移し、翌年帰国して阿見ACに加入。現在は陸上競技を通して子どもたちの成長に携わることに重きを置く。3000m障害の現役選手として、日々トレーニングを積んでいる。