なりたい自分を描いて努力することが
フィールドに立った時の
心の支えになる
SATO RYO
タカトミ所属
走高跳選手
2019年ドーハ世界陸上にも出場経験をもつ
走高跳”佐藤凌”選手に
小学生時代のお話や現在の夢などについて
お話を聞いていきます。
同級生6人の小学校時代
放課後は全員で
真っ暗になるまで遊んだ
小学生の頃はどんなお子さんでしたか?
引っ込み思案だったみたいです。正直、僕自身はあまり覚えていなくて。今回の取材を受けるにあたって両親に聞いたところ、「恥ずかしがり屋で、よく人の後ろに隠れていた」そうです。
新潟県長岡市で生まれ育ったんですが、全校生徒40人弱と小さな小学校で、同級生はわずか6人。いつもクラスメイト全員で一緒に遊んでいました。授業が終わると校庭に集まって、みんなで鬼ごっこやドッジボールをして、真っ暗になるまで遊んでいた記憶があります。
それが途中で小学校が合併することになり、一気に300人以上に増えたんです。引っ込み思案だったのは、新しい友だちと打ち解けるのに、少し時間がかかったからかもしれません。
その頃から体を動かすことが好きでした。今のように真剣に取り組むスポーツではなく、昼休みに友だちとキャッチボールや鬼ごっこをするのが楽しくて仕方なかった。
それが3年生になると、男子は全員野球部に所属し、放課後はほぼ毎日野球の練習。11人集まらないと野球チームができないので、選択肢はなく野球一択でした。冬の間は雪が積もってグラウンドが使えないので、体育館でミニバスをしていました。当時から足は速かったですね。
初めて出場した
陸上競技大会で優勝
芽生え始める夢
走高跳を始めたのはいつから?何かきっかけはありましたか?
小学校5年生のときに市の陸上競技大会があって、たまたま走高跳の種目で出場して、たまたま優勝することができたんです。
その後、先生のすすめもあって、長岡市内の陸上競技スポーツ少年団に入団。この頃から漠然と「将来は陸上選手になりたい」という気持ちが芽生え始めました。1cmでも高く跳べると、自分はもちろん、コーチや周りのみんなが「すごいね」って喜んでくれることが、子ども心に嬉しかったんだと思います。
小学5年生のときからすでに「陸上選手になる」のが夢だったんですね。
いや実は、サッカー選手になりたいという夢も捨てきれていなくて。従兄弟がサッカーをやっていて、よく一緒にボールを蹴って遊んでいました。試合すらやったことがなかったので、自分がどこまでやれるか試してみたかったんです。
あの頃は陸上をやりながら、サッカー選手にもなれると思っていました。井の中の蛙というか、世間知らずでしたね。何も知らないからこそ、何でもできると思っていました。
中学入学後、サッカー部に体験入部したんです。グラウンドの真ん中でサッカー部が練習していて、その周りで陸上部がトレーニングしていたんですけど、部活が終わる頃には、陸上部のみんなと走っていました(笑)。陸上部の先生だけでなく、最終的にはサッカー部の先生からも、「佐藤は陸上をやったほうがいい」と言われてしまって。
大人になった今でも、サッカーへの未練は残っています(笑)。
走高跳で日本一になりたい
人生初の敗北で
やる気にスイッチオン
サッカー選手を夢見た少年が走高跳へ。転機になった出来事はありましたか?
人生で初めて負けたことです。全日本中学校陸上競技選手権大会に出場したとき、初めて同学年の選手に負けて、それが本当に悔しくて。初めて味わった敗北感でした。
もっと強くなりたい。陸上競技の強豪校に行って、走高跳で日本一になりたいと思いました。高校は地元新潟を離れて大阪の東大阪大柏原高校へ。本格的に走高跳のトレーニングを始めました。
ご両親はどんな存在でしたか?
僕がやりたいことや好きなことを、そっとサポートしてくれるような両親でした。「陸上をやりなさい」と強制されたことは一度もなかったです。「しんどかったらやめてもいい」とも。多分、僕のことを信じてくれていたんだと思います。
こうした教育方針は、自分のアスリートキャリアや人生観にもつながっているので、両親にはとても感謝しています。自分の子どもにもそうしてあげたいですね。
勝負メシはありましたか?
子どもの頃は、トンカツでした。大会の時はお弁当に必ず入れてもらっていました。好きなものを食べたら高く跳べると本気で思ってた(笑)。栄養管理を徹底している今だったら考えられないですけどね。
「瞬足」を履いたときの
あのワクワク感
今でも鮮明に
よみがえってきます
「瞬足」を初めて履いたときの印象を覚えていますか?
はい、鮮明に覚えています。日曜の朝、テレビで戦隊モノを見ていると「瞬足」のCMが流れてきて、当時のキャッチフレーズは、たしか「コーナーで差をつけろ!」だったかと。コーナーで前にいる走者を追い抜くシーンが痛快で、目に焼き付きました。
運動会前に「瞬足」を買ってもらって、1等賞をとった記憶があります。「瞬足」を履いたら速く走れるとか、コーナーで追い抜けるとか、ワクワク感ってとても大切だと思うんです。
そういう気持ちにさせてくれる「瞬足」は、子どもにとって貴重な存在だと思うので、皆さんにもぜひ履いてほしいです。僕が活躍することで、「佐藤選手と同じように「瞬足」を履きたい」と思ってくれる子どもが一人でも増えてくれたら嬉しいですね。
「瞬足」のように、モノやヒトとの出会いが人生を変えた経験はありますか?
数えきれないくらいあります。一番はやはりコーチかな。いいコーチに出会えたときは、記録が10cm以上も伸びたりと、 普通では考えられないくらいパフォーマンスが向上した実体験があります。
日本人初のメダル獲得を
目指します
大切にしていることは何ですか?
自分を信じ続けることです。口にするのは簡単ですが、自分を信じることってかなり難しいことだと思っていて、何かあるとすぐに不安になったり、自分を責めたりしてしまいがちです。
自分を信じ続けるには、なりたい自分を目指して全力で取り組むことが大切で、そうした日々の努力こそが、フィールドに立った時の心の支えになります。
陸上競技は孤独なスポーツです。もちろん競う相手はいるんですが、あくまで自分との闘い。自分に勝てなかったら、他人にも勝てやしないと思うんです。自分もまだまだできていないので、頑張りたいですね。
今の“夢”を教えてください。
前回の東京では最終選考でケガをしてしまい、直前で代表から外れてしまいましたが、今年は体調も万全で、トレーニングも順調に進んでいます。
東京での借りをパリで返したい。まずは確実に代表権を獲得して、走高跳で日本人初のメダル獲得を目指します。
PROFILE
佐藤 凌(サトウ リョウ)
- 生年月日
- 1994/7/21
- 出身
- 新潟県長岡市
- 所属
- タカトミ
- 自己ベスト
- 2m27cm
- 主な実績
- 2018年-全日本実業団選手権 優勝
2019年-ドーハ世界陸上出場
2024年-パリ出場を目指す
2019年のドーハ世界陸上に日本代表として出場。今夏パリへの出場・日本人初のメダル獲得を目標に、日々トレーニングに励んでいる。